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オンリーワンを目指した90年代。景気低迷期での新たな経営戦略

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生産拠点集約化のため、仙台へ工場用地を購入

仙台北部中核工業団地

1990年代に入り、日進工具では、生産拠点の集約化を進めていました。しかし、本社や第1工場がある場所は第一京浜近くの住工混合地であり、将来、工場存続に制約を受ける可能性があること、さらに、新たに土地を購入するには、地価高騰の影響で莫大な資金が必要になることなどから、同地区での生産の集約化は不可能でした。
また、火災で全焼してしまった藤沢工場を再建したとしても、NC研磨機にロボットや付属装置を追加装着するにはスペースが不足していました。

そこで、新たな工場用地の取得に着手し、1991年に宮城県の仙台北部中核工業団地に敷地面積約1万2,160平方メートルの工場用地を購入しました。

景気低迷期の挑戦。仙台工場を新設

第3期工事が終了した仙台工場

バブル崩壊により経済が低迷を続けていた1992年当時、当社の売上高は減少傾向に転じていました。しかし、1993年に新規投資凍結の方針を解除し、仙台工場新設プロジェクトをスタートさせました。同年11月に竣工し、藤沢工場から機器を移設した上で操業を開始しました。

なお、仙台工場は藤沢工場の教訓を活かし、万一、1台の機械から出火しても、他の機械に延焼しないよう8つの加工区ごとに独立した建物とし、消化対策にも万全の対策を施していました。
しかしこの方式では、それぞれの加工区での製造状況を管理部門が把握しにくいという問題が出てきたため、加工区を4つに集約する第2期工事を行い、1994年から稼動しました。さらに、1998年には、4つの加工区を全廃し、新たに、品質管理室、検査室、加工区洗浄室、包装室、在庫管理センターを新設する第3期工事が完工しました。

超硬小径エンドミルのオンリーワンを目指して

仙台工場が竣工した1993年度と翌年度の経常損益は2期連続の赤字となり、こうしたなかでの仙台工場の新設計画については、メインバンクから厳しい批判もありました。しかし、「仙台工場を製造拠点に、超硬小径エンドミルのオンリーワンを目指し邁進していく」とういう新たな経営戦略を進めていくうえで、仙台工場の新設は不可欠だったのです。

銅電極カッターシリーズ

超硬小径エンドミルの開発と並行して、新分野の製品開発も進め、1993年に「銅電極カッターシリーズ」の発売を開始しました。この製品は、銅加工のための専用設計で、以下の特徴を備えていました。

  • 特殊超硬合金を採用した長寿命
  • 銅加工に最も適した専用刃形が実現した高精度
  • 後工程の磨き作業を激減でき、工具寿命が長く、大幅なコストダウンが可能
  • 加工形状に合わせて選べる豊富なラインナップ

しかも、銅電極専用のエンドミルを製造できたのは、当社のみで、ユーザーから高い評価を受けた製品となりました。

この冷静な経営判断と品質・顧客ニーズ重視の製品開発により、次回にご紹介する飛翔期を迎えます。

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