コラム | ものづくりの進化 | 歴史

新しい時代を見据えた企業力強化とジャスダック上場

メイン画像

オンリーワンを目指して、組織力と開発力を強化

組織改革の実施

出口のみえない平成不況が続く1990年半ば、日進工具では、売上・利益を増大させ「超硬小径エンドミルのオンリー・ワン」という目標の実現に向けた組織改革を実施しました。従来、代理店と全国のディーラーへの拡販と受注管理は一つの営業部が担当していましたが、営業本部内に東営業部(東日本担当)と西営業部(西日本担当)を新設し、互いに「競争」することにより、業績の向上へとつながっていきました。

マサムネを導入

CNC機・マサムネ

1996年3月、超硬小径エンドミルの少量多品種製造用CNC機・マサムネを仙台工場に導入しました。同機械は、ハード・ソフト面で、24時間完全自動生産を可能にしています。マサムネという名称は、仙台藩祖の伊達政宗公にちなんだもので、全社員公募によるネーミング募集により決定しました。

「無限コーティングシリーズ」を発売

1997年、切れ味と耐久性を飛躍的に高める新たなコーティング技術を採用した「無限コーティング 超硬ソリッドエンドミル」を開発しました。「無限コーティング」は、真空アーク放電を利用し、TiALN(チタンアルミ)系の皮膜を比較的低温域で緻密に密着させる技術であり、同コーティングを施すことによって耐酸化温度が850℃に高まるとともに、硬度HV3,000を実現させています。

当社では、「無限コーティング」を施した「超硬ソリッドエンドミル」の新製品群を「無限コーティングシリーズ」というブランドで販売を開始しましたが、「生材から高硬度材まで加工できる」「湿式でも乾式でも加工可能」「低速域から高速域まで幅広く加工可能」などの高品質が、エンドユーザーに高く評価され、現在に至るまで当社の主力シリーズの一つとなっています。

開発センターを開設

2001年8月、仙台工場の隣に新たに土地を購入し、開発センターを開設しました。当社の主力製品を生み出す母体となった同センターでは、試作品はもとより工作機械や設備のテストも行うほか、ユーザーや社員の研修センターとしても活用されています。

生産体制を再強化

仙台第二工場外観

開発部門が開発した新製品を、より効率的かつ低コストで生産できる体制を構築するため、2001年、仙台工場に生産技術部を新設しました。同部では、効率的な生産技術・施設の追求はもとより、製造機器のメンテナンス、アウトソーシングの際の発注規格管理と品質管理も担当しています。同年8月には、仙台工場内に仙台営業所を開設しました。東北地区の各代理店の支店開設支援とともに、エンドユーザーに対するきめ細かいアフターフォローも行えるようになりました。

さらに2003年11月には、仙台工場の近くの建物を賃貸・改修し、仙台第二工場として操業を開始しました。これにより小径は仙台工場、太径と特殊品が仙台第二工場という現在の生産体制を確立しました。

新たな時代を見つめて

海外の展示会に積極的に参加

当社では、国内の展示会ともに海外の展示会にも力を注いできました。アジア地区で最大の工作機械見本市・タイ METALEXには1999年から現在まで毎回参加し、韓国のSIMTOSには2000年に初参加。さらに、欧州ではEMO Hannover(2001年)、EMO Milano(2003年)に出展しました。その後も毎回出展しています。

輸出量が増大

現在では、当社製品の輸出先は、アジア地区では、韓国、マレーシア、シンガポール、中国、香港、タイ、台湾、インドネシア、ベトナム、インド等、欧州では、ドイツ、フランス、イタリア、スイス、スペイン、ポルトガル、ルーマニア、トルコ、デンマーク、フィンランド等と多岐にわたっております。

モノづくり部品大賞の受賞とジャスダック上場

「モノづくり部品大賞」を受賞

モノづくり部品大賞・部品賞の盾

2004年3月、当社の「cBNスーパーフィニッシュボールエンドミルSFB200」が、日刊工業新聞社の「第1回 モノづくり部品大賞・部品賞」を受賞しました。

プラスチック超精密金型の最終仕上げ用として開発したSFB200は、厳選したcBN焼結体を素材に用い、右刃の外周から左刃の外周まで一直線の切刃稜線を形成する画期的な工具形状を採用したことにより、工具精度を飛躍的に向上させました。これまで超硬エンドミルでは不可能だった高硬度被削材(40~68HRC)の長時間かつ高精度仕上げ加工を可能にし、こうした点が「産業・社会の発展に貢献する部品である」と評価されました。

開発責任者の後藤隆司常務取締役開発センター長は、受賞後の同紙インタビューに応え、「cBN焼結体はダイヤモンドに次いで硬い素材ではあるものの欠けやすく、また研削性がよくないという問題があった。さらに、小径エンドミルは工具形状が複雑で製作が困難なことから、素材の選定をはじめ研削加工技術の確立など、試行錯誤の連続であった」と語っています。

ジャスダック上場

当社は、ジャスダック市場での株式公開に向け、2001年8月から準備を開始し、主幹事証券であるUFJつばさ証券、監査法人の中央青山監査法人等の指導のもと、コーポレート・ガバナンスの体制づくり、関係会社・組織の整備、予算・利益管理の徹底、原価計算制度や会計制度の充実を進めていきました。上場の目的は、当社の信用・ブランド力の向上、従業員のモラルアップ、資金調達力の強化でした。

2004年10月のジャスダックによる上場承認後、後藤勇社長は1週間にわたり約30社にのぼるアナリスト向けプレヒアリングを精力的にこなし当社の宣伝に努めました。プレヒアリングの初日は台風23号が関東地方に上陸した日でしたが、全社各部門の共同作業の結果、首尾よく2004年11月19日に上場を果たすことができました。

登録銘柄新規登録証を受け取る後藤勇社長

ジャスダックの登録銘柄新規登録証

ものづくりの進化

歴史

特集

TOP